軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)までツーリング(北九州市若松区)

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)にツーリング ツーリング
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軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)までツーリング

MT-07(バイク)の車検のついでに、北九州若松区にある軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)まで、プチツーリングしてきました。

このあたり埋立地でしょうが、大型風車がたくさん回っていて、なんか雰囲気良い感じですね。工場と一緒にある風車も絵になるようなとこです。

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)までプチツーリング

 

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)です。ここには第二次世界大戦で戦艦大和と一緒に沖縄特攻に出撃し生還した二隻の駆逐艦を合わせ3隻の駆逐艦が防波堤として、そのまま埋められています。

釣りをされている方も多く今は戦艦が埋まっている防波堤と聞かないと、ただの防波堤って感じです。

北九州、軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)までプチツーリング

 

防波堤に埋まっている駆逐艦は3隻は、以下のように埋まっています。

バイクを止めたあたりには、涼月(すずつき)が地下に埋まっているようです。

防波堤に埋まっている駆逐艦は3隻、涼月、冬月、柳

 

埋まっている船のうち、涼月、冬月が戦艦大和と共に沖縄特攻した船です。

涼月は戦闘により被弾し戦闘不能となり艦首が沈下した状態で、前進しては沈むという事で後進で佐世保へ帰還した船です。通信装置は破壊され、ジャイロコンパスも破損し、近くに居た船に手旗信号で方向を教えて貰って進路を取ってなんとか佐世保まで戻った船だそうです。

冬月も戦闘に参加し大和の沈没を見届けた後、約600名を救助し佐世保へ帰還した船です。

防波堤に埋まっている駆逐艦は3隻、涼月、冬月、柳

 

今地表部に見えている戦艦は、柳です。上の2隻よりも古い船で、第一次世界大戦のころに運用されていた船のようです。

その後は、佐世保で練習船として運用されていたようです。

今地表部に見えている戦艦は、柳。軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)

 

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)の海を挟んで対岸には日本製鉄など工場地帯が広がっています。

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)から北九州工場地帯

 

防波堤の先っぽの方からです。戦艦の枠だけ残っている感じです。曲線が船であることが判る程度です。

LT2-B-201516

 

先の方に行くと岸壁の防波堤の中に完全に埋没している戦艦の後です。

先っぽの方に行くと、完全に船体が埋没しているとこもあります

 

若戸大橋と若戸トンネル

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)の先からは若戸大橋も遠くに見えています。昔は有料でしたが、今は無料で渡れます。

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)から若戸大橋

 

2012年に開通している若戸トンネルです。一度も通って無かったので、今回はトンネルを通って戻ってみました。

こちらも無料で通ることができます。

若戸トンネルを通る。無料

 

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)へのアクセス情報

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)へのアクセス情報です。

住所:福岡県北九州市若松区響町1丁目

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